猫と恋人とTakato。

三十路が語るあれやこれや。

人間を選ぶ事の大切さ③。過去編。

Takatoです。

president.jp

中村さんの記事と一緒に過去の話の続きをします。

前回と前々回、ハイスクールの校長に見捨てられ、おふくろも駄目な親という話をしました。

今回は、二年目と親父についてお話しします。

ハイスクール二年目。相変わらず、いじめグループと仲が悪かった。

この頃からこいつら精神的になんか問題でもあるのか?と思うくらいの嫌がらせを受けました。

覚えているのがまず、ハイスクール二年目初日。教室に顔を出した瞬間「お前のいられる場所じゃねーんだよ」と朝っぱらから暴言。言い返したら、早速壁際でメンチを切る。睨み返すものの、相手は複数。死角から足やら手が出てくる。

特に当時の俺は長年の水泳で先輩方より力も強かったので、殴り返したりするのに抵抗を覚えていた。こっちが反撃する際には、余り力を入れずにかつカバンなどを通してやっていました。当然、相手からすれば余り痛くはないでしょう。

ならばと思い、体育がラグビーだったので思いっきりやってやろうとも思ったのですが、スポーツはスポーツ。個人的な感情は持ち出したくなかった。

無論、相手はこちらへわざと取れないようなパスをして俺が教師に怒られるように仕向けたり、倒れたら全員で上に乗っかって息も吸えないほど体重をかけてきたり、明らかにスパイクで蹴ってるやつもいました。側から見れば決してフェアプレイではなかった。

体育教師も以前軽い罪を犯したらしい事を武勇伝のように語る人間だったので、どちらかと言えばこの状況を楽しんでいました。怒る時はわざと全員を集めて俺を名指しで怒る。いじめグループへの贔屓は見事なものでした。

また、体育がラグビーだったのもこちらとしては不利だった。身体の怪我や痣はラグビーで出来たものと言われればそれで終わってしまう。目撃者も本当の事を言うとは思えなかった。

身体の怪我や痣もあるが、勉強もしなければならない。夜は相変わらず眠れず、胸の痛みも徐々に大きくなる。

1番忘れられない出来事はこの年、曾爺ちゃんが亡くなったのですが、葬式後学校に復帰したらいじめグループから一言。

「今日だけはなんもしねーよ。爺ちゃん死んでマジ可哀想だからな」。

葬式後で疲れていたので睨むしかなかったのですが、神経を疑う。身内がなくなって感謝しろとでも言いたいのか。もはや、人間ではない何かに見えた。

そんな中ある朝、起きたら身体が異様に熱かった。動かそうにも、全身痛くて苦しい。明らかに高熱でした。

起きようにも起きれず、時計を見たら既にバスに乗らなければならない時間。すると、親父の足音が聞こえました。

自室のドアを乱暴に開けたと思ったら、

親父「早く学校へ行け!!。何の為に働いてると思ってる!!」。

朝っぱらの怒鳴り声程不愉快なものはない。大きな声で頭痛もし始めたので、気分が良くないと伝えたら無言で靴を投げられました。恐らく、仮病だと思ったのでしょう。立派な暴力です。

仕方なく着替えて、寝癖もそのままで家を出ました。バスでも座れず、何度も倒れそうになりながら学校に着いたのは一時限目の終わり頃。とりあえず、身体の体温だけでも測ろうと体温計を貰ったらびっくり。39度超えていました。

大急ぎで学校側が家に連絡。そのままバスで1人帰る事になりました。

俺は何をやっているのだろう。授業を受けられないなら、来ないで家の近くの公園で倒れてた方がマシだったのに。

でも、これで家でちゃんと休める。家のドアを開けたら親父と鉢合わせしました。

親父「気分が悪かったなら言えばいいのに」。

無言で中に入ったら、すれ違いざまに親父がそう言いました。

気分が悪い時に靴を投げて無理やり行かせたのは誰だ。俺が学校行く事でそんなにイライラするなら、最初から行かせなければいい。会話もろくにせず、父親らしい事だってしてもらった覚えもない。

おふくろに続いて、親父も親として失格のレッテルを貼った瞬間。赤の他人2人との「家族ごっこ」の幕開けでした。

耐え続けて三年に進級が決まった頃、一年の時学校をやめたK君から1年ぶりに連絡が。

K「家でパーティするからTakatoも来なよ」。

日本に帰っていない事にまず驚きました。それでも、久々の友人からの連絡は嬉しかった。

3年目はそれまでを取り戻すかのような日々が訪れました。その話は次回。

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