猫と恋人とTakato。

三十路が語るあれやこれや。

メリークリスマス。2017年。

Takatoです。

最近、INしても「記事を書く」が消えてて書けませんでした(爆)。

色々弄ったら出てきましたが、なんかの不具合かな?。

皆さま、イブはどうお過ごしでしょうか。

こっちはまだイブでも、クリスマスでもないですが夜は実家で過ごす予定です。

恋人も実家で過ごすので会えません。クリスマスは本来家族と過ごすらしいです、海外では。

そんなわけで今のうちにメッセでやり取りしてます。

いつか、2人だけで過ごせる夜もあればいいなーとか、チキン食おうとか、日本で一度でいいから過ごしたいよねとか、取り留めない会話をしております。

プレゼントも今年はお互いスルーして、今度寿司でも食う予定です。クリスマス感ゼロです。バリバリ日本人です。

今も何故か「もののけ姫」の曲を一緒に聞いてまわってます。平成感ゼロです。クリスマスの欠片もない。

ハープ動画を見て、イケメン美女しか許されない憎っくきものと認定した三秒前。あれがBLで登場したら訴えます(何故。

小学二年生の頃「ヨッシーのタマゴ」というゲームをサンタに頼んだら、お袋の字で「ヨッシーのたまごは倉庫にないから、この金で買え byサンタ」という手紙を貰った過去をふと思い出す。

はっきり言います。サンタは存在しません。

え?。ショック?。サンタはいつだって恋人か親父です。あるいは、サンタの格好して接客した23の頃の俺がサンタでした。今はサンタしてません。サンタは死にました(殴。

そんな中身のない記事ですが、良いクリスマスをお過ごし下さい。

メリークリスマス!!!

お別れ会。

Takatoです。

以前の仕事先でコンビを組んでいた日本の出向者が三年の任期満了という事で日曜日帰国する事に。

47歳と一回り以上年上なんですが、仕事に対する姿勢が格好良かった。

下っ端にも気さくに話しかけて、教えるときは面倒臭がらず、トラブルがあれば真っ先に飛び込んでいた(一緒に毎日走ったなぁ)。

帰国したら昇進して地獄の日々が待っているらしいが、身体にだけは気を付けて欲しい。

いつか日本に行ったら、また会えると信じて、それまでは忘れずにいたいと思います。

やっと終わったーーー。

Takatoです。

仕事で忙しく、ブログを開く時間がありませんでした(ーー;)。

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猫可愛い。久々にもふもふ。

お仕事をして行く中でトラブルは尽きませんが、色んな人と出会ったり、貴重な体験もさせて頂いたり。

来年も良い出会いに恵まれた年であるといいなぁと、全てが終わってから思います。

明日は日本から帰国した京子ちゃん(1ヶ月ちょぃぶり)、と総太(3周間ぶり?)が来るので荒れ果てたマンションを大掃除し、溜まりまくった洗濯物を回してやっと元どおり綺麗になりました。

潔癖とかではないけど、客が来るなら綺麗にしときたいですよね。

やっとの休み満喫しつつ、皆さんの記事巡りしてゆったりしたいと思います。

夜はカレー作らんと。

人間を選ぶ事の大切さ③。過去編。

Takatoです。

president.jp

中村さんの記事と一緒に過去の話の続きをします。

前回と前々回、ハイスクールの校長に見捨てられ、おふくろも駄目な親という話をしました。

今回は、二年目と親父についてお話しします。

ハイスクール二年目。相変わらず、いじめグループと仲が悪かった。

この頃からこいつら精神的になんか問題でもあるのか?と思うくらいの嫌がらせを受けました。

覚えているのがまず、ハイスクール二年目初日。教室に顔を出した瞬間「お前のいられる場所じゃねーんだよ」と朝っぱらから暴言。言い返したら、早速壁際でメンチを切る。睨み返すものの、相手は複数。死角から足やら手が出てくる。

特に当時の俺は長年の水泳で先輩方より力も強かったので、殴り返したりするのに抵抗を覚えていた。こっちが反撃する際には、余り力を入れずにかつカバンなどを通してやっていました。当然、相手からすれば余り痛くはないでしょう。

ならばと思い、体育がラグビーだったので思いっきりやってやろうとも思ったのですが、スポーツはスポーツ。個人的な感情は持ち出したくなかった。

無論、相手はこちらへわざと取れないようなパスをして俺が教師に怒られるように仕向けたり、倒れたら全員で上に乗っかって息も吸えないほど体重をかけてきたり、明らかにスパイクで蹴ってるやつもいました。側から見れば決してフェアプレイではなかった。

体育教師も以前軽い罪を犯したらしい事を武勇伝のように語る人間だったので、どちらかと言えばこの状況を楽しんでいました。怒る時はわざと全員を集めて俺を名指しで怒る。いじめグループへの贔屓は見事なものでした。

また、体育がラグビーだったのもこちらとしては不利だった。身体の怪我や痣はラグビーで出来たものと言われればそれで終わってしまう。目撃者も本当の事を言うとは思えなかった。

身体の怪我や痣もあるが、勉強もしなければならない。夜は相変わらず眠れず、胸の痛みも徐々に大きくなる。

1番忘れられない出来事はこの年、曾爺ちゃんが亡くなったのですが、葬式後学校に復帰したらいじめグループから一言。

「今日だけはなんもしねーよ。爺ちゃん死んでマジ可哀想だからな」。

葬式後で疲れていたので睨むしかなかったのですが、神経を疑う。身内がなくなって感謝しろとでも言いたいのか。もはや、人間ではない何かに見えた。

そんな中ある朝、起きたら身体が異様に熱かった。動かそうにも、全身痛くて苦しい。明らかに高熱でした。

起きようにも起きれず、時計を見たら既にバスに乗らなければならない時間。すると、親父の足音が聞こえました。

自室のドアを乱暴に開けたと思ったら、

親父「早く学校へ行け!!。何の為に働いてると思ってる!!」。

朝っぱらの怒鳴り声程不愉快なものはない。大きな声で頭痛もし始めたので、気分が良くないと伝えたら無言で靴を投げられました。恐らく、仮病だと思ったのでしょう。立派な暴力です。

仕方なく着替えて、寝癖もそのままで家を出ました。バスでも座れず、何度も倒れそうになりながら学校に着いたのは一時限目の終わり頃。とりあえず、身体の体温だけでも測ろうと体温計を貰ったらびっくり。39度超えていました。

大急ぎで学校側が家に連絡。そのままバスで1人帰る事になりました。

俺は何をやっているのだろう。授業を受けられないなら、来ないで家の近くの公園で倒れてた方がマシだったのに。

でも、これで家でちゃんと休める。家のドアを開けたら親父と鉢合わせしました。

親父「気分が悪かったなら言えばいいのに」。

無言で中に入ったら、すれ違いざまに親父がそう言いました。

気分が悪い時に靴を投げて無理やり行かせたのは誰だ。俺が学校行く事でそんなにイライラするなら、最初から行かせなければいい。会話もろくにせず、父親らしい事だってしてもらった覚えもない。

おふくろに続いて、親父も親として失格のレッテルを貼った瞬間。赤の他人2人との「家族ごっこ」の幕開けでした。

耐え続けて三年に進級が決まった頃、一年の時学校をやめたK君から1年ぶりに連絡が。

K「家でパーティするからTakatoも来なよ」。

日本に帰っていない事にまず驚きました。それでも、久々の友人からの連絡は嬉しかった。

3年目はそれまでを取り戻すかのような日々が訪れました。その話は次回。

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人間を選ぶ事の大切さ②。過去編。

Takatoです。

president.jp

上の記事を元に昔話の続きをします。

記事には「親は味方」的な事が書かれていますが、理想論です。

確かに、親は子の味方。「そうであるべき」と思う必要も本来はないはずですよね。子を持てば愛情を感じる。でも、その愛情が真っ直ぐであるとは限りません。

そう思うようになった切っ掛けは俺の両親にあります。

現在では「普通に会話」をする程度にまで関係は改善しています。それでも、俺が過度のストレスの積み重ねで味覚障害と表情がなくなり倒れた後の事。30の頃からです。俺の感覚的にはまだ「赤の他人」レベルです。

そんな不出来な親との関係についてお話しをします。

まず、おふくろ。絵に描いたような見栄っ張り。四人兄弟の長女で、過度の期待を背負って育てられました。爺ちゃんや婆ちゃんも結構癖のある人達だったので、負のスパイラルの元でもあります。現実や相手の心境を考えず綺麗事を言っては追い込むような人。学生時代は優等生。

親父はおふくろより6歳年上で不器用な男。真面目なのですが、愛情の示し方が分からない上に言葉が足りないのでよく俺と喧嘩をしてました。こちらの爺ちゃん婆ちゃんも更に一癖二癖もある人間なので、この親でこの子ありと言った印象です。8人兄弟ですが、親父も含めて爺ちゃん達との仲も良くはない。学生時代は先生を困らせた挙句、追い出されて校庭を走った方がいいと思うような問題児。

そんな二人が何故くっ付いたのか永遠の謎だが、若くして結婚。俺が生まれました。

俺は子供の頃は割とどこにでもいる男の子でした。結構笑う、明るい子供だったと親戚には聞いています。

今思うとそれ別人じゃね??とか思うのですが、物心がはっきりした小学校の頃から既に「大人」である事を強いられてきたので、俺や周りが別人と思っても仕方ないのかもしれません。

小学校の男子といえば、そりゃぁ悪戯の1つや2つやってもそれが自然です。それを親が子供の目線に合わせて、何故やってはいけないのかと一緒に考えてみる。子供の出した答えを聞いて、足りない所は導いてやる。

俺としてはこうだろうと思うのですが、両親はとにかく怒鳴るだけでした。怒鳴るだけ怒鳴って、季節関係なく子供を外で三時間は立たせる。その後、反省点はなんなのかも教えず、こちらが「ごめんなさい」を言うまでは不機嫌。謝っても数週間は話さないような親でした。

また、親としてやってはいけない事の1つに「お金の話をしてはいけない」と言うのがあります。心理学的にもこれは子供に罪悪感を抱かせますし、不安で誕生日やクリスマスのプレゼントも頼まないような子供になる可能性があります。俺もそういう子供で、鉛筆を頼むのも躊躇した程です。

もう一つは食卓での会話。両親は既に現地語で話していたのですが、こちらはワケワカメ。食卓と言えば、子供とのコミュニケーションの場として大事な時間なのですが、そんな素晴らしい時間はなかった。もっぱらテレビを見て、会話の邪魔はしてはいけない。そんな風に思うようになりました。

両親がいつからそうなったのか、俺も理由は知らない。それでも、7歳や8歳の子供にとって十分恐怖ですよね。気付けば低学年なのに家で敬語を話すような子供になっていました。精神的にも早熟で、担任に心配された程です。

亀裂が決定的になったのが海外に渡った一年目。当時12歳。

海外一年目といえば、まず言葉が通じない。日本語学校は七年生まであり、結局小学校を二度卒業する羽目になりました。

そんな一年目ですが、とにかく辛かった。

まず、三ヶ月も経たないうちに日本語禁止令が出されました。早く現地語を話せるようにという考えなのでしょうが。話せませんよ、普通に。

学校では既に前回のイジメグループと仲悪く、授業も言葉が分からない俺を国語の先生も面倒だと思ったのか、単語を一つも教えてくれませんでした。

そんな学校生活で日本語を封じられたのだから、たまったものではない。覚えはすこぶる遅かった。

厄介だったのは、家でうっかり日本語を使えば怒られていた事。「学校どうだった?」と聞かれても現地語で「良かったよ」と言える事から始めました。怒られるくらいなら、適当にあしらって自室に籠った方がマシ。辛い感情は自分で処理する道を選びました。

勉強もアルファベットから覚えないといけなかった。学校で慣れない文字を読んでノートに写す。現地のアルファベットは人によって特徴があるので読めない事や読み違いも多々ある。仮に間違えていても、存在する単語かどうかも分からないので判断ができない。

そんなある日、自室で理科のノートを開いて単語を辞書で確認していました。書き間違いや慣れない辞書引きでたったの3ぺージを三時間以上掛けて調べていた夜の12時。年齢の割には日本の新聞は読めるレベルだったのですが、初めてみる日本語も当然あって何の事かも分からない。それを現地の辞書を開いて翻訳しないと理解できない。辞書を引いて、辞書を理解する13歳。シュールかもしれません。

悪戦苦闘していたら、おふくろが様子を見に来て、あろうことか突然小テストっぽく質問をして来ました。

日本語なら答えられるかもしれない、でもそれだと怒られる。沈黙の後どうしようもなかったので、素直に「覚えていません」と日本語で伝えたら、信じられない衝撃の一言。

おふくろ「何時間もやって答えられない。こんなことじゃ、医者にはなれないわね」。

当時の夢が医者になる事だったのですが、それを否定された瞬間でした。悔しいけど、何も言えない。悲しいけど、言う通りかもしれない。そう自分に言い聞かせて耐えました。現地語で言えば分からなかったのに、わざわざ通じる日本語で言う辺りも憎らしい。

海外に渡って半年。精神は既にボロボロ。夜は学校や新しい1日が怖くて眠れず、不眠症に。仕方がないので、寝るのは諦めて日本から持ってきた音楽のCDを漁り、慰めてくれるフレーズを探しては再生。何度もリピートしては聞く。

特にZARD「負けないで」なんかは擦り切れる程聞きました。誰も慰めてくれないなら、CDの声でも良い。誰かに慰めて欲しかった。

「負けないで」効果もあり、なんとか持ち直したもののやはり12歳。長くは続かなかった。

おふくろとの亀裂が決定的になったのは、1ヶ月に1回ある親戚の集まりの日。うちは曾ばあちゃんが子沢山で、婆ちゃんも同様。その子孫も子供がいて、全員で80人はいるんじゃないかという大所帯の家系。そんな数相手に俺は何故かウェイター係をやらされていました。他の親戚の子供が不良だったので日本育ちの俺が扱いやすかったのでしょう。

大人達が食べる間、飲み物や料理を運ぶ。やっと運び終わったと思ったら、追加のビールや料理の注文。80人もいれば食べる暇もなく、料理も冷めてしまう。完全タダ働き。

その日は結局食べずにテーブルも綺麗にして、コーヒーも持て行って、やっと座れると思ったその瞬間。突然、無性に泣きたくなりました。

ここは楽しい所なんて真っ赤な嘘。学校だって辛い。家では何も言えない、話せない。明日が怖い。眠いのに眠れない。この人たちだって名前すら覚えていない。もう、無理。

深く考えずにいる事で保っていた精神は限界。考えたくもないのに、次から次へと本音が心に響く。苦しくなり、それから実に15年以上続く慢性的な胸の痛みを感じるように。

痛みに耐えていたその時。俺の表情を察知したのか、親戚が親に報告(と言う名のチクり)をした。

呼び出された結果、怒られました。

おふくろ「なんて顔してるの。みんなが変な子だと思うからやめなさい」。

この女は何を考えてるのか。どうせなら、俺を堕ろしてくれれば良かった。おふくろに親失格のレッテルを貼ったのはこの時です。誰かが辛そうな顔をしているなら「どうかした?」と心配するくらい子供の俺でもやれる事。それすら出来ないおふくろに腹が立ちました。

以降は消えない胸の痛みをコントロールしつつ、何かが壊れたように勉強漬けの日々。

日本に逃げるにしてもお金がない。家出をしようにも、生きていける訳がない。それなら、とっとと現地語を学べば少しは楽になるかもしれない。そう思った記憶があります。

ただ、何かしらの支えは必要でした。音楽や本を読んで優しい言葉や場面を探したり、禁止されたゲームの面白かった会話や場面を思い出したり。夜は眠れないので飼い始めたばかりの愛犬を撫でて、スヤスヤ寝てしまうまで温もりを感じたり。

思い出すだけで淋しいのですが、当時は他に心を保つ手段がなかった。

小学校は猛勉強の甲斐もあって卒業。頑張ったけど、嬉しくありませんでした。

影の薄い親父とも会話が出来ないので既に疎遠でした。まもなくして、父親失格のレッテルを貼る事になるのですが、それは次回の話。

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人間を選ぶ事の大切さ①。過去編。

Takatoです。

今年の10月に掲載された以下の記事について。

president.jp

テレビでも話題になり、読んだ事がある方もいらっしゃると思います。

全部読んだのですが、「まぁ、そうだな」と思う所もあれば「惜しい」と思ったりで結果50/50と言った所でしょうか。自分の中でも賛否両論です。

まず、始めに言いますが「学校のクラスメート」で現在も連絡を取り合う人は一人もいないです。小学校は日本で、その後海外に渡ったので自然に疎遠に。

その後はこちらのハイスクールに通ったのですが、まぁ酷かった。日本語学校で、一部(午前中)は普通の学校のように現地語。二部は日本語(午後)でした。クラスメートは日本の血筋が半分、残りは台湾人。およそ、20人。

で、俺のクラスメートですが卒業するまで1回も仲良くなれませんでした。無論、現在でも同窓会で呼ばれたら不参加を決め込み、ライングループも追加された日に速攻で退会。結婚式も行っていません。フェイスブックの申請があればブロックし、電話番号も即削除。

ここまで書けば察すると思いますが、とにかくハイスクールの5年間(五年生が日本の高校三年)は良い思い出がない。

そんな訳で、中村さんの記事の事もあるので1つの昔話をしたいと思います。

結構遡るが、一年の頃入学と同時にとあるクラスメートがイジメられていました。J君とします。彼は特徴的な男子で勉強が苦手。落第を二回経験したので、よくからかわれていました。

ですが、クラスメートのからかい方がもはやイジメ。運動も出来なかったので、蹴られたり一生懸命取ったであろうノートを破られたり。話し方も早口だったので、何を言っているのかが分からない事もあり、朗読をしては先生がいても中傷は止みませんでした。

イジメの主犯格だったMとUの事は今でも覚えています。良くある「ジャイアン」と「スネ夫」を更に悪くした感じで、とにかく周りが合わせないと気に食わない。特にMは癇癪を起こしては暴言や暴力を振るうので、小学校から馴染みのあるクラスメートには怖がられてました。

で、俺も最初はクラスに溶け込もうと努力はしたのですが、さすがにイジメに加担する訳にもいかずある日「良い加減にしとけよ」みたいな事を言ったら、その日からターゲットが俺に移ってしまいまして。そっから、五年間劣悪なハイスクール生活が始まりました。

まず、話し合う手段を選んだのですが、さっぱり駄目でした。真面目に話せば話すほど面白がり、会話にならない。また、それまではある程度話もしていた他のクラスメートも徐々にイジメグループに加入して結果的に 複数vs俺 という図式の出来上がり。

また、その年の6月に日本から転校生も来たのですが、彼も酷い事されていました。日本を離れて言葉も分からず、授業中も日本の事を考えていたのか上の空。

普通、気を使って優しく話しかけるとかするのでしょうが、クラスメートは違った。日本から持ってきた文房具を奪ったり、時差ボケで休憩時間寝ている彼の椅子を引いて笑ったり。

これで精神が持つわけもなく、数ヶ月後彼は不登校になりました。家に行ったり、日本の話をしたりで仲良くしていたので寂しかったのですが、自分を守る手段としてありだと今では思います。

その後もイジメグループとは度々バトルを繰り広げて、ようやく年末。J君も進級が決まったのですが、転校して違うハイスクールに。

ここで俺も違うハイスクールへと思ったのですが、この頃既に両親との関係が悪かったので言いだせませんでした。理由は次回。

そんな風に二年生になった一学期。遂に校長先生に呼び出されました。

クラスの惨状は先生方も見ていたのでやっと動いたかと希望を持ったのですが、続いたのは以下の発言。

校長「クラスの雰囲気が悪いのはTakatoのせいだ。もっと、溶け込む努力をしなさい。放課後も残ってクラスメートと残って遊びなさい」。

もう俺には遠回しに「学校を辞めれば、クラスの雰囲気も変わるだろうしK君もJ君も辞めたからお前も辞めたら?。どうせ、仲良くなるなんて無理だしさ」。と言われてるようにしか聞こえませんでした。

というのも、彼が元凶を知らない訳がないのだ。そこを一切無視して、こちらを選んだのは扱いやすいと思われたからなのでしょう。そもそも、授業を妨げるような事は一切していないのだ。

その後、校長は両親にも連絡をしたのですが、見事に問題をスルーした内容でした。

両親「良い校長先生で良かった。アンタも甘えてないで、友達作る努力しなさい。あの学校は良い学校で、こっちも払ってるんだから。クラスメートだって良い子ばかりじゃないの」。

………いつ、俺が甘えたのか。仲良くなったクラスメートには早々に裏切られ、J君やK君も学校から去った。そもそも、払うのが嫌なら何故子供を産んだ?。クラスメートが良い連中と言う根拠はなんだ。

既に身体の見えない所に痣が出来てるとも知らず、悠長なものだと思いました。当時、14歳です。

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男の身体について。

Takatoです。

一ヶ月、日本旅行していた京子ちゃんが明日辺り帰ってきます。

写真を見る限り趣味に生きた一ヶ月だったようで、凄く楽しそうでした。

彼氏はいないのですが、勿体ないなぁなんて思ったり。よく総太と「彼氏はやっぱ性格良い人がいいよねー」なんて、小姑みたいな事言っています。

さて、今日は突っ込んだ話を1つ。特に男性は読んでください(出来れば女性もね)。

genxy-net.com

男の悩みらしいペニスの話。

記事によると、実際に計らずオンラインかつ匿名でアンケートを取ったら前年より「2センチ強大きくなっていた」という話でした。

2センチも違うって、かなりサバ読んでますね( ̄д ̄;)。

自分は計った事はないんですが、普通サイズで十分ですよ。むしろ、大きすぎて悩む人は結構います。

昔話ですが、20代前半の頃。ジムのシャワールームが大部屋でした。壁とか扉とかなんにもないので、銭湯よりある意味肌色な訳ですが、中には大きすぎて困るみたいな事を言っていた人がいて話題になった事が。というのもパッと見、明らかに大きくて全員驚いたんですよね。平常時なのに俺が勃起した時のサイズより長くて太い。俺も含めて5、6人いたんですが巨根男は「セックスの前に引かれるし、実はシャワーも怖かったりする」と落ち込んでました。一番小さかった人が「足して2で割ればちょうどいいのに」なんて言ったりでお通夜ムードに。

なんでも適正サイズでいいんだなぁ………。そんな風に思いました。

多くの男が憧れる巨根だけど、場合によっては彼のように苦しむ人もいる。サバ読まなくても、正常な性行為が出来るならそれでいいんです

続いて、大事な「ペニスの皮」の話。つまり、仮性包茎やズル剥けの事。俺結構怒っています、日本のデタラメ情報の多さに

まず、お聞きしたいのが日本人から「剥けてる方が良い」なんて言ってるのを聞きますが、あれってどういう事なんでしょう??。大半が①「その方が清潔」②「見栄がいい」レベルの事を言います。

この際ハッキリ結論から言いますが、「仮性包茎」が普通です。「仮性」も「包茎」も選ぶ言葉としては間違ってるくらい「普通」です。聞いた事ないですよ、「仮性包茎」や「ズル剥け」なんて言葉。以前、とある医療資格を取る際に人体の勉強もしましたが、「真性」や「カントン」はともかく「仮性包茎」や「ズル剥け」なんて話題にも上がりませんでした。

①の「清潔」に関してですが、男がセックス以外でペニスが清潔かどうかを気にする人ってどれくらいいます?。1日の終わりやセックスの前後、自慰行為の後綺麗にすればそれで十分です。逆に言えばズル剥け=綺麗という訳でもない。ズル剥けでも密閉空間にある限り、洗わないと不潔に変わりはないのです。

あと、皮の存在理由も説明しない各クリニックにはほとほと呆れています。それって手術する側として如何なものか。

この際なので俺が知る、皮の機能に関していくつか

①亀頭を守り、極度に乾かさない事で傷つきにくくする。
②温度の調整。
バクテリアやウィルスから守るプロテインを放出。
④一種の性感帯(快感を脳に届ける神経が張り巡らされている)。
⑤性行為中、スムーズなピストン運動を可能にする。
⑥勃起の際、実は皮も広く太くなるのでペニス自体が大きくなる。

俺が知るだけでこれだけの機能があります。記憶が正しければ、もっとあったハズです。

にも関わらず、とあるクリニックの仮性包茎のページを読むと難点としてこう書かれています

①亀頭の発育が遅れ、先細りになりやすい。

大嘘。発育に問題があるのは他の理由。また、先細りは「真性」の場合で「仮性」は関係ありません。

②カスが溜まりやすい。酸化し、悪臭を発する。

そりゃぁ、二日三日洗わなければそうなります。清潔にすればそれで解決。

③白いブツブツが出来やすい。

半分近く正解。ただし、殆どの場合はそういう体質なのが原因で病気ではありません。ズル剥けにしてもなる人はなります。皮を切るくらいなら、レーザー治療などで一発です。

④陰毛と絡んで痛い。あるいは陰毛が皮を傷付ける可能性がある。

一番酷い。それが理由で陰毛を切るではなく、人体を切るのか???。あと、皮を傷付ける陰毛って何?。

つまり、皮本来の役割(しかも、メリットの方が多い)を捨てても「見栄」しか残りません。おまけに、仮性包茎はパートナーが嫌がるみたいな事も聞きますが、それどんな状況?。性行為の前にちゃんと洗って解決です。洗ってないズル剥けより、洗った仮性包茎の方が遥かに綺麗ですよ。それとも、シャワーも浴びれない所ですか?。公共の場所くらいですよ、そんな所。

また、ズル剥けのデメリットは他にも「感じにくくなった」というのも結構聞きます。これは皮に密集している快感を脳に届ける神経の削除、亀頭の刺激慣れ、及び勃起時に相手の内壁と面していた部分がなくなったからです。感じやすくなったと言う方は十中八九思い込みか、後悔はしているが皮は戻らないので強がっているのどっちかです。

これを読んだ方で仮性包茎の手術を考えていたら、あらかじめ色々調べてから望んでください。一応、こちらの医者で仮性包茎の皮の除去を勧めている医者は皆無とだけお伝えします。日本だけですよ、あんなにも仮性だのズル剥けだのうるさいのは。

身体をいじるならメリットだけではなくデメリットも調べて、後悔がないようにとお伝えしたいです。

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