猫と恋人とTakato。

三十路が語るあれやこれや。

自分はパンセクシャル。解決編。

早く日常日記にしたいので、猛スピードでいきます。30代は物忘れがあるので尚更です。

さて、パンセクシャル。実に妙な響きですよね。初めて聞いたのは総太からです。

現在LGBTのアルファベット4種には含まれていません。世間的にはバイじゃね?と思う人が殆どだと思います。個人的にですが、本質はどれとも当てはまらないと思います。

きっかけは総太との出来事でしたが、LGBTの資料を読み漁っていくとある単語にものすごい違和感を覚えました。

性別です。

どの資料も同じ性別の人が好きだとか、性別を変えたいだとかが殆ど。

性別ってそんなに大事なんだと不思議に思いました。

俺自身の性別は男です。ついてます。精神的にも男だと思っています。女性になりたいとか、性別変えたいとか思った事は一度もありませんでした。

それは、ついてるんだから当たり前ーみたいな感覚です。

ですが、性別のことで悩んでいる人は非常に多いです。苦しんだり、イジメを受けたり、拒絶されたり。

小学校の頃、よく同じ男子が他の男子に「女みたい」だの「なよなよしてる」だの「男らしくない」だの言っていた記憶があります。

俺は別にいいのに。いい奴なんだし。と、不思議に思いました。そんなに大事なことなのだろうかと。

女の子に対しても「男みたいだ」と言うクラスメートには当時からイラっとさせられたものです。

こんな風に人は幼い頃から社会に「男らしさ」と「女らしさ」を求められています。その枠の中でLGBTの方々は苦しめられて来ました。もちろん、罪などはなかったはずです。

一方、自分にとって性別は昔からこのように気にならないものでした。なぜなら、自分の人に対する1番大事なものは

 

だと思うからです。

 

宗教的な意味ではないです。それは優しさだったり、向上心だったり、歩んで来た道だったり。その人がどんなに惹かれる精神をもっているのかです。

初恋の人や総太と付き合うまでの恋人も何かしら惹かれるものがありました。周りを囲む空気だったり、性格だったり。

体や顔は?と思うでしょうが、それで選んでません。胸は感触とかが好きなだけです。元カノなんて、見るも無残な断崖絶壁でした。今、目の前に絶世のおっぱい美女や超イケメンが裸で現れても興奮しません。新垣○衣や石○さとみでも意味不明です。可愛いとは思いますが、それだけ。

決まってその人に興奮するのは好きになってからです。無論、アダルトビデオは見ますし、興奮はしますが肉体ではなく場の雰囲気に興奮します。ただ、日本のようなど変態なシチューションには興奮出来ません。どちらかというと、何言ってるかよく分からん言語でいきなりおっぱじめてくれたほうが興奮します。

じゃぁ、優しさとか性格さえよければいいのでは?と、思う方もいるでしょう。

いいえ。そうではないのです。実はもう一つ大事な要素があります。

前の記事にちらっと書いた、共鳴です。

なぜかわからないけど、特定の人の近くにいるとざわつく感じです。自分の場合決まって1人だけ。つまり、今は総太だけです。他の人相手にはそれがありません。自然にシャットアウトです。

また、総太がある日身体が突然女性になっても問題ないです。所詮、身体は器にすぎないのです。惹かれた彼の精神がそのままなら、女性だろうが男性だろうが、テナガザルになろうが一緒にいる事でしょう(本人にとっては大問題でしょうが)。

そんなこんなで、性別は無意味だと思っていた長年の疑問が過去の自分を見つめることでようやく晴れました。

俺はパンセクシャル。性別関係なく、本質を愛する人

愛せるということは、人間である事には変わりはない。そして、パンセクシャルである自分と一生付き合って行くんだと思うと、案外楽しくも思えますし、意外性のある人生に感謝しています。